2017年03月16日

誰が音楽をタダにした?

 誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち
スティーヴン・ウィット著/関 美和 訳

音楽に興味がある人は、読んで損はない、すっごくためになるエンターテインメントです。

ノンフィクションだけれども、推理小説のように物語が紡がれてゆく文章は、次のページをめくるのが楽しくなる快感があります。

ソーシャル・ネットワークとダヴィンチ・コードとをミックスしたような、これは映画化したら盛り上がるんではなかろうかというお話です。すごいドライヴ感!

最先端テクノロジーとしてmp3という規格を作ったドイツ人科学者、
世界的ヒット曲を生み出し続けたエグゼクティブプロデューサー、
ネット上にファイルを違法アップロードするデジタルな海賊たち、
その3つの視点から、「音楽」を巡る様々な事件が起こってゆくドキュメンタリーです。

ファイル圧縮技術の進化、違法アップロードサイトの遍歴、そして音楽業界のビジネスモデルの変化、著作権と倫理、それらがスピード感ある物語(ノンフィクションだけど)で語られていきます。

久しぶりに一気に読んじゃう一冊でした。

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posted by ito_hiromitsu_dearfool at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

小沢健二「流動体について」について 僕が空想したいくつかの事(あるいはひとりよがり)


"そして意思は言葉を変え
言葉は都市を変えてゆく
躍動する流動体 文学的 素敵に炸裂する蜃気楼"

 意思(原因)が言葉(結果)を変え、都市(自己と他者の関係性)を変えてゆく、というのは因果論であり、仏教の根本思想「縁起」って事。他者との関係性の中にしか自分の存在はない、という認識。

"躍動する流動体"はそこに流れる時間であり、"君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則"でもあり、さらにそれは"素敵に炸裂する蜃気楼"だと言うのだ。
つまりそれは幻であり空(くう)であり、形而上学的なるそれを流動体だと言う。

"神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の
中で良いことを決意するくらいだろう"


そしてその流動体の中で、しっかりあるけれども知覚できないかのような宇宙の動的平衡の中で僕らが出来るのは"良い事を決意するくらいだろう"と言う。
それは意思であり、原因である。つまり、因果の輪の中だ。認識の始まりにぐるっと一周して戻って来る。

良い事を決意する自分と、良い事を決意しなかった自分。
平行世界が星の数のようにひしめく世界も、全ては宇宙の因果の中で流動体に、文学的、数学的、美的、素敵に蜃気楼のように消えてゆく。

それは当たり前の事であり、だからこそ寂しい事かもしれない。諦めのようにも響いてしまう言葉のあとに、こう続いて歌は終わる。

"無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない

宇宙の中で良いことを決意する時に"

因果を受け入れる事は"それほどの怖さはない"と言う。

何てさり気ない、そして素敵な肯定の仕方だろう!

怖くはない、でも恐れるな、でもなく"それほどの怖さはない"と背中を押すのだ。

今ここに自分がある事を肯定する言葉が、この歌の最後に置かれる。


  哲学的で、思想的なものが(それは普遍的で根源的なものだけれども)、あくまで平素な言葉で、素敵なメロディで4分10秒のポップソングとして歌われる。

僕が好きな小沢健二は、変わる事なく(あるいは変わりながら)詩人として帰ってきたんだなぁ。

もちろん僕が思っているのはぜんぜん勘違いで、的はずれかもしれない。でもこういった事(空想、妄想)を考えさせる力が、小沢健二の詩にはある。それが嬉しい。

posted by ito_hiromitsu_dearfool at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

堀江敏幸「河岸忘日抄」

堀江敏幸の「河岸忘日抄」という小説が好きだ。
事あるごとに読み返す、僕には大切な一冊だ。

"異国のとある河岸に繋留された船に住むことになった「彼」は、古い家具とレコードが整然と並ぶリビングを珈琲の香りで満たしながら、本を読み、時折訪れる郵便配達夫と語らう。ゆるやかに流れる時間のなかで、日を忘れるために。動かぬ船内で言葉を紡ぎつつ、なおどこかへの移動を試みる。"

事件はほとんど何も起こらず、ただただ思考の海に、文章の波にたゆたう心地良さが、そこにはある。
浮世離れしているようで、それでいてどうしようもなく生活に根ざしている視点、小説と随筆との境界線(海と陸との間に係留する船が舞台というのも象徴的)のような文体、全てが心地良い。
僕は、こんな文章を書く事が出来たのなら、とため息をついてしまう。

ブッツァーティの小説も、タルコフスキーの映画も、手巻きの煙草も、スグリのジャムも、この小説で出会い、好きになった。
多大な影響を受けているのに(いや、だからだろうか)、人には勧めづらい。小難しくスノッブだと思われてしまいがちだからだろう。

ストーリーに重きを置く読書が好きな人には全くもって勧めない。なぜなら物語はほとんど推進しないから。

だけれども、ふと立ち止まり深呼吸して過ぎ去った事に想いを巡らせる時に、そこにある孤独を否応なしに受け入れる時に、そしてためらい続ける贅沢さに気付いた時には、この一冊はとても役に立つ。

posted by ito_hiromitsu_dearfool at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする